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馬ヶ岳城跡臨時駐車場〜登山口(大谷信号)〜展望台〜二ノ丸跡〜 |
馬ヶ岳・御所ヶ岳 |
2014年1月12日 |
今年の干支は馬、その干支に因んで馬ヶ岳に行ってみた! |
馬ヶ岳 展望台(太閤岩・官兵衛岩・又兵衛岩)からの眺望
<コース概要> |
1、馬ヶ岳城跡臨時駐車場 〜 2、登山口 9時20分 〜 3、畝状(うねじょう)竪堀群 〜 |
大谷信号(県道58号) 9時00分 |
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1、馬ヶ岳城跡臨時駐車場 9時01分 |
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大谷信号 9時16分 |
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案内標識 9時18分 登山ルート説明あり |
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2、登山口 9時20分 出発 |
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正面に馬ヶ岳 9時26分 民家を抜けると正面奥に馬ヶ岳が現れた。左が二ノ丸のある東山、右が本丸のある西山である。空は曇っているが大丈夫そうだ! 安心する表示 |
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登山道入口 9時28分 |
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畝状竪堀群入口 9時33分 登山道入口の右手に標識が立てられていた。その標識に誘われてまずはそちらに足を伸ばすことにした。いったい何があるのだろう? 立派な標識 |
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3、畝状竪堀群 9時40分 |
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再び登山道入口に 9時54分 |
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馬ヶ岳城跡」の説明標識より <豊前の要衝、馬ヶ岳城> 馬ヶ岳城は、行橋市とみやこ町の境に聳(そび)える標高216mの馬ヶ岳とその山麓に築かれた中世の山城です。室町時代から戦国時代末期まで、大内氏や毛利氏、大友氏などが、豊前地域の支配をめぐり、馬ヶ岳城の争奪戦を繰り返しました。 |
<黒田官兵衛の九州最初の居城> 九州平定後の天正15年(1587)7月、秀吉に豊前六郡、約12万石を与えられた黒田官兵衛は、その拠点を中津へ移すまでの間、馬ヶ岳城を居城とし、宇都宮鎮房(しげふさ)など黒田氏に抵抗する勢力を平定していきました。慶長5年(1600)、黒田氏は筑前に移り、豊前は細川忠興(ただおき)の所領となりました。 |
<秀吉と馬ヶ岳城> 天正14年(1586)、豊臣(羽柴)秀吉が九州平定のため、黒田官兵衛を軍奉行とした部隊を九州に派遣。当時馬ヶ岳城主であった長野三郎左衛門は秀吉方に服属したことから、馬ヶ岳城は秀吉の勢力下に置かれました。「九州御動座記」によると、天正15年(1587)3月28日遠征軍を率いた秀吉は小倉に上陸し、翌29日、馬ヶ岳城に入り二泊したことがわかります。 |
<今も残る山城の遺構> |
説明看板をいろいろと読んで、馬ヶ岳の歴史をお勉強! |
4、馬ヶ岳登山道入口 9時58分 |
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整備された登山道 10時04分 |
気持ちの良い登山道もある 10時06分 |
階段が続く 10時09分 |
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分岐 10時13分 |
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また分岐 10時15分 |
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5、展望台 10時15分 144m |
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6、東山山頂(二ノ丸跡) 10時33分 208m |
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「京都(みやこ)平野の景観」 10時34分 |
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二ノ丸を出発、鞍部に下る 10時41分 歩き易い鞍部の尾根歩き。馬ヶ岳も人気が出て来たのか?5〜6組の登山者とすれ違う。 あと少しだ! |
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山頂が見えてきた 10時44分 ようやく山頂が見えた!しかし、やはり低山、大谷信号の登山口からいろいろ寄り道や休憩などしても、まだ1時間24分しか経っていない。 最後の階段 |
7、馬ヶ岳山頂<城址・本丸跡> 10時45分 新田氏表忠碑 山頂では10人位の登山者が休憩していた。何故か女性ばかり・・・。 |
山頂のベンチで一休み 10時51分 |
山頂碑が見当たらない 10時52分 |
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御所ヶ岳へ縦走スタート 10時53分 |
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すぐに分岐が・・・ 10時55分 |
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八畳岩へ向かう 10時56分 |
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八畳岩 10時57分 |
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分岐に戻った 10時59分 |
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ホトギ山の表示 11時12分 縦走路を進んで行く!しかしながら、馬ヶ岳を上る時のように登山道は整備されていない。シダが覆い茂る登山道を、赤テープに注意しながら歩く。それにしても、「御所ヶ岳」の表示はまだ一度もお目にかかっていない。 表示は全てホトギ山となっている。名前の由来はどうなっているのだろう?なぜ、カタカナなのだろう? 不思議に思いながら御所ヶ岳を目指した。 |
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縦走中間地点 11時16分 |
8、御所ヶ岳山頂 11時37分 急登を喘ぐこと20分、やっと山頂に到着した。 |
御所ヶ岳(ホトギ山)山頂碑 246m |
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御所ヶ岳を下山 12時14分 |
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山頂からすぐに分岐 12時15分 |
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水晶谷跡地 12時23分 快調に下山していく。 駐車場まであと380mだ。 水晶の採掘? |
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石組みがあるが・・・ 12時25分 この石組みの右手を抜けて通る。 帰宅して調べるとこの石組みは東門だった。 駐車場へ |
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9、御所ヶ谷登山口 12時30分 登山口駐車場に飛び出したが、車は1台もいない。正面に登山口らしきものが? 私の飛び出したルートは正規の登山道ではないらしい。 |
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御所ヶ谷登山口へ行ってみた!
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御所ヶ谷神籠石(こうごいし) 神籠石とは北部九州から瀬戸内海沿岸にかけて分布する古代の山城の一種で、城壁の基礎に切石の列石を並べています。 百済救援のために朝鮮半島に派兵した我が国は663年、白村江で唐と新羅の連合軍に敗退します。 敗戦後、唐、新羅群の侵攻に備え防人と烽(のろし)を配置するとともに大野城、金田城など山城を築き国防体制を強化しました。 神籠石タイプの山城もこの戦いの前後に国土防衛のために築かれたのだと考えられます。 御所ヶ谷神籠石は、外周3kmに及ぶ大規模な遺跡です。 高さ3〜5メートルの土塁(城壁)を山中に2km 7箇所城門があり、このうち中門は花崗岩の切石を積み上げ、排水口を設けた巨大な石塁が残っています。城内には建物の礎石や貯水池の跡と思われる遺構、未完成の土塁跡などもあります。 西日本の古代山城の中でも御所ヶ谷神籠石は大規模な石塁や土塁に象徴されるように、城としての完成度が高く当時、中央政権が京都平野を九州北東部の防衛のかなめとして重視したことを示しています。 (説明看板より) |
城門 中門(花崗岩の切石を積み上げ、排水口を設けた巨大な石塁) 12時36分 |
誰もいない静かな住吉池 |
御所ヶ谷史跡自然公園 12時48分 |
歩いて県道58号線へ 12時58分 |
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10、津積(つつみ)信号(県道58号)13時07分 |
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大谷信号に到着 13時22分 右手に見える「馬ヶ岳」〜「御所ヶ岳」の稜線を眺めながら58号を歩いた。 津積信号から15分で大谷信号に到着。 あれっ?歩道に車が |
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11、馬ヶ岳城跡臨時駐車場 13時25分 今朝スタートした大谷信号横の「馬ヶ岳登山口」を通り、臨時駐車場にゴール!古代そして戦国時代と、歴史に想いを馳せた登山だった。 お疲れ様でした! |
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