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馬ヶ岳城跡臨時駐車場〜登山口(大谷信号)〜展望台〜二ノ丸跡〜
          馬ヶ岳山頂<馬ヶ岳城址・本丸>〜御所ヶ岳〜御所ヶ谷登山口

 

馬ヶ岳・御所ヶ岳

 

2014年1月12日

 

今年の干支は馬、その干支に因んで馬ヶ岳に行ってみた! 
その昔、山頂に存在した馬ヶ岳城は、今年のNHK大河ドラマ「黒田官兵衛」の九州最初の居城である。そんな訳で最近、馬ヶ岳が脚光を浴びている。
行橋市は登山道の整備をし、登山口には、のぼりを立てて猛アピール。
展望台の岩には、名前まで付けられている!
さて、今年の馬ヶ岳は果たしてブレークするのか?




馬ヶ岳  展望台(太閤岩・官兵衛岩・又兵衛岩)からの眺望

<コース概要>

1、馬ヶ岳城跡臨時駐車場   〜 2、登山口 9時20分 〜 3、畝状(うねじょう)竪堀群 〜 
4、登山道入口 〜 5、展望台 〜 6、二ノ丸跡 〜 7、馬ヶ岳山頂<城址・本丸>〜 
8、御所ヶ岳山頂 〜 9、御所ヶ谷登山口 〜 10、 津積信号(58号線) 〜 
11、馬ヶ岳城跡臨時駐車場  13時25分


               
 

大谷信号(県道58号)  9時00分
田川方面から国道201号、新仲衷トンネルを抜け約2km進むとジョイフルのある交差点がある。その交差点を右折し県道58号線に入ると、3キロ程で大谷信号に到着。この付近には「黒田官兵衛」ののぼりがたくさん立っているのですぐにわかった。ここが馬ヶ岳への登山口である。私は大谷信号を右折し、すぐに左斜めに100m程走ったところにある臨時駐車場を利用した。

 

1、馬ヶ岳城跡臨時駐車場  9時01分
大谷信号から100m程入ると、トイレ完備の立派な臨時駐車場がある。先着は1台だけ。
 
    ありがたい!

 

大谷信号  9時16分
臨時駐車場での気温は2℃。今日はかなり冷え込んでいる。しかしながら、馬ヶ岳は低山なので心に余裕が・・・。でも油断は禁物、気を引き締めて登山靴の紐を結ぶ。そそくさと支度を整えて、大谷信号まで戻り、ここからスタートとなる。交差点には「馬ヶ岳登山道入口」の看板があり、初めての人でも分かり易く案内がしてある。のぼりも立ててあり、ちょっと心が弾む。

 

案内標識  9時18分 登山ルート説明あり
大谷信号横の角に案内板が設置されている。
「馬ヶ岳城」  天正14年(1586)豊臣秀吉が島津氏征伐を決めると、翌、天正15年(1587)遠征軍を率いて自ら九州に上陸、秀吉は小倉城を経て、この城に滞在している。九州平定後、馬ヶ岳城は豊前六郡を与えられた黒田孝高(官兵衛、如水)がその拠点を中津に移すまでの居城であった。(案内標識より抜粋)

 

2、登山口   9時20分 出発
案内標識などを読んでグズグズしていたが、ここからいよいよスタートとなる。角には「史蹟、馬ヶ城址登山口」の石碑があった。

   民家を抜けて進む

  正面に馬ヶ岳  9時26分
民家を抜けると正面奥に馬ヶ岳が現れた。左が二ノ丸のある東山、右が本丸のある西山である。空は曇っているが大丈夫そうだ!

   安心する表示
 

登山道入口  9時28分
大谷信号の登山口からここまでたったの8分で到着。ここから登山道に入ることになるのだが、50m程先に何やら標識がある。

   階段が伸びる入口 

  畝状竪堀群入口  9時33分
登山道入口の右手に標識が立てられていた。その標識に誘われてまずはそちらに足を伸ばすことにした。いったい何があるのだろう?

   立派な標識
 

3、畝状竪堀群  9時40分
登山道入口の右手標識から平坦な道を歩くと、次第に林の中へ入って行った。「虎口(こぐち)」とういう看板を右に曲がって進んで行く。普通の道にしか思えないのだが、そこは「畝状竪堀群」という立看板があった。
16世紀後半に生まれた手法で、竪堀を密集して斜面に並べ、敵兵の自由な行動を妨害します。(立看板より)

 

再び登山道入口に   9時54分
畝状竪堀群跡を見学して登山道入口に戻ってきた。
私にはよく理解できなかったが、要するに城を敵兵から守るためにあらゆる防御策を講じていたのだろう。「虎口」「横堀」「畝状竪堀群」「堀切」といろんな看板で説明が施されていた。登山道入口で小休止しながら「馬ヶ岳城跡」の説明標識に目をやると、いろいろ説明が書いてあった。これを読まなくては・・・。

馬ヶ岳城跡」の説明標識より
<豊前の要衝、馬ヶ岳城>
馬ヶ岳城は、行橋市とみやこ町の境に聳(そび)える標高216mの馬ヶ岳とその山麓に築かれた中世の山城です。室町時代から戦国時代末期まで、大内氏や毛利氏、大友氏などが、豊前地域の支配をめぐり、馬ヶ岳城の争奪戦を繰り返しました。
<黒田官兵衛の九州最初の居城>
九州平定後の天正15年(1587)7月、秀吉に豊前六郡、約12万石を与えられた黒田官兵衛は、その拠点を中津へ移すまでの間、馬ヶ岳城を居城とし、宇都宮鎮房(しげふさ)など黒田氏に抵抗する勢力を平定していきました。慶長5年(1600)、黒田氏は筑前に移り、豊前は細川忠興(ただおき)の所領となりました。
<秀吉と馬ヶ岳城>
天正14年(1586)、豊臣(羽柴)秀吉が九州平定のため、黒田官兵衛を軍奉行とした部隊を九州に派遣。当時馬ヶ岳城主であった長野三郎左衛門は秀吉方に服属したことから、馬ヶ岳城は秀吉の勢力下に置かれました。「九州御動座記」によると、天正15年(1587)3月28日遠征軍を率いた秀吉は小倉に上陸し、翌29日、馬ヶ岳城に入り二泊したことがわかります。

<今も残る山城の遺構>
馬ヶ岳には、土塁、堀切、畝状竪堀群などの山城の遺構が今も残っています。西側の峰を本丸跡、東側の峰を二ノ丸跡と呼んでおり、二ノ丸から北に下る尾根には、約700mにわたる土塁や、50本以上の畝状竪堀群が残ります。山頂だけではなく山麓部分にも土塁や竪堀、横堀などの防御施設が築かれているのか馬ヶ岳城の特徴です。


説明看板をいろいろと読んで、馬ヶ岳の歴史をお勉強! 




 

4、馬ヶ岳登山道入口  9時58分
畝状竪堀群の見学も終わり、いよいよ馬ヶ岳へ向かってスタートだ!登山道入口には「史蹟 馬ヶ岳城址へ」の石碑がある。

   いざ見参!

 

整備された登山道  10時04分
この登山道は、とにかく階段が多い。登山と言うより、自然公園を散策する気分だ。
低山なので、馬ヶ岳城址までなら、さほど登山の準備もいらないので、一般の方も遠足気分で登ることが出来そうだ。
そんなことを考えて登って行くと、急な階段の上りで汗が滲んできた。
低山と言えど、ナメてはいけない。







気持ちの良い登山道もある  10時06分 



 

階段が続く  10時09分
一歩一歩階段を上って行く。まだ登山道入口からたったの11分しか経っていないが、もう汗が噴き出してきた。

    道の両側にシダが茂る

分岐  10時13分
標識に沿って左に進む。この辺りは階段ではなく、普通の登山道なのでとても歩き易い。しかし見上げると、この先はまた階段のようだ(悲)

   左へ

 

また分岐  10時15分
またもや分岐標識に出会う。標識を見ると進行方向は右だが、左は展望台のようだ。すぐそこなので展望台に行ってみることにした。

   右 二ノ丸、馬ヶ岳へ

 

5、展望台  10時15分  144m
馬ヶ岳の名前の由来は、二つの峰からなる山の形が神馬に似ているからと言われている。
ここ馬ヶ岳中腹の展望台にはベンチが設置され、眺めを見ながら休憩するに絶好の場所だ。ここには、太閤岩、官兵衛岩、又兵衛岩と名付けられた岩が並ぶ。山頂方面を眺めると、左の東山(二ノ丸跡)、右の西山(山頂本丸跡)が迫ってくる。約10分休憩して先に進んだ。

 

6、東山山頂(二ノ丸跡) 10時33分 208m
展望台から一旦鞍部に下り、上り返すとそこは二ノ丸跡である。貫神の祠が目に付いた。
この祠は貫山の方向を眺めているようだった。

   貫神様

 

「京都(みやこ)平野の景観」  10時34分
東山山頂は広場になっており、京都平野が一望できるはずだが、霞んで見通しが良くない。

   風化した石碑

  二ノ丸を出発、鞍部に下る  10時41分
歩き易い鞍部の尾根歩き。馬ヶ岳も人気が出て来たのか?5〜6組の登山者とすれ違う。

   あと少しだ!
  山頂が見えてきた  10時44分
ようやく山頂が見えた!しかし、やはり低山、大谷信号の登山口からいろいろ寄り道や休憩などしても、まだ1時間24分しか経っていない。

   最後の階段





7、馬ヶ岳山頂<城址・本丸跡>   10時45分  新田氏表忠碑
山頂では10人位の登山者が休憩していた。何故か女性ばかり・・・。






山頂のベンチで一休み  10時51分
京都(みやこ)平野を見下ろすが、残念ながら霞んでいる。官兵衛もこの景色を眺めたのだろう。




 

山頂碑が見当たらない  10時52分
山頂碑の前で記念撮影を、と思っていたが・・・山頂を2周しても見つけることが出来なかった。
かろうじて新田氏表忠碑の前に小さくて古びた「馬ヶ岳城」という標識があるだけだった。

  表忠碑の横に三面観音?

 

御所ヶ岳へ縦走スタート  10時53分
今年の干支「馬」に因んだ馬ヶ岳、そしてNHKの大河ドラマ「黒田官兵衛」の九州で最初の居城のあった馬ヶ岳山頂を踏み、これで本日の目的達成!これから下山と言いたいところだが、この先にある御所ヶ岳まで縦走することにした。今登ってきたルートと反対方向に登山道が伸びている。標識を確認するが、御所ヶ岳の表示はない。間違いはないので先に進んだ!

 

すぐに分岐が・・・  10時55分
道は真っ直ぐ続いているが、ロープが張ってあった。
足下を見ると分岐表示がある。左右どっちだ?右手を見ると八畳岩の表示があった。


    足下左に分岐表示

 

八畳岩へ向かう  10時56分
八畳岩?そんな予備知識はないが、きっと八畳位の広さの大岩があるのだろう。縦走コースは左折みたいだが、また寄り道してみようと遊び心が働いて右の道に入って行った。
  表示に誘われて

 

八畳岩   10時57分
正に8畳の広さの大岩だ!ここで京都(みやこ)平野を見ながらのランチタイムは最高かも?と思いつつ分岐に戻った。八畳岩の背後には弘法大師が祀られており、大岩とセットのようだった。

   弘法大師像

 

分岐に戻った  10時59分
分岐表示には目指す御所ヶ岳の文字がなく、「ホトギ山分岐点」と書いてあった。御所ヶ岳は別名ホトギ山と言うらしいので安心して進む。

    御所ヶ岳=ホトギ山

  ホトギ山の表示  11時12分
縦走路を進んで行く!しかしながら、馬ヶ岳を上る時のように登山道は整備されていない。シダが覆い茂る登山道を、赤テープに注意しながら歩く。それにしても、「御所ヶ岳」の表示はまだ一度もお目にかかっていない。 表示は全てホトギ山となっている。名前の由来はどうなっているのだろう?なぜ、カタカナなのだろう?
不思議に思いながら御所ヶ岳を目指した。
 

縦走中間地点  11時16分
鞍部に下りると、丁度中間地点にあたる表示があった。この先からまた上り返すことになる。

   急登だ!






8、御所ヶ岳山頂  11時37分  急登を喘ぐこと20分、やっと山頂に到着した。
振り返り見ると、馬ヶ岳が見える。  馬ヶ岳山頂〜御所ヶ岳山頂は44分を要した。




 

御所ヶ岳(ホトギ山)山頂碑  246m
低山とは言え、10分程続く最後の急登は苦戦した。それだけに山頂から見る景色が美しい。

   犀川方面

 

御所ヶ岳を下山  12時14分
山頂でゆっくりランチタイム。そしてあとは下山するだけ!さてどうしようか?当初は往路を戻ろうかと考えていたが、昼食後になんとなくダルくなって、御所ヶ谷登山口に下ることにした。御所ヶ谷へ下っても、車は馬ヶ岳登山口の臨時駐車場に停めている。タクシーでも呼ぶか?と、ちょっと迷ったが御所ヶ谷登山口から58号線に出て、馬ヶ岳登山口まで歩くことにした。

 

山頂からすぐに分岐  12時15分
左は、奥の院・西門(尾根分岐点A 750m)、右は東門・駐車場(860m)となっている。迷わず右に進んだ。

    転倒注意

  水晶谷跡地  12時23分
快調に下山していく。
駐車場まであと380mだ。

   水晶の採掘?
  石組みがあるが・・・  12時25分
この石組みの右手を抜けて通る。
帰宅して調べるとこの石組みは東門だった。

   駐車場へ
  9、御所ヶ谷登山口  12時30分
登山口駐車場に飛び出したが、車は1台もいない。正面に登山口らしきものが? 私の飛び出したルートは正規の登山道ではないらしい。

  
 御所ヶ谷登山口
 御所ヶ谷登山口へ行ってみた!



大きな立看板が・・・
「小鳥来るひもづる古道神籠石」と歌が詠んである。「ひもづる」とは、ヒカゲノカズラ科で、東南アジア暖帯以南の地域に広く分布する植物で、直径5ミリほどの茎を伸ばし、枝分かれした茎が木に絡みついて広がったりするらしい。
説明看板の地図によると、この付近一帯が「ひもづる」の群生地になっているみたいだった。
登山届ボックス?には、御所ヶ岳(ホトギ山)、古代山城、御所ヶ谷 神籠石(こうごいし)見学者記録箱と書いてあった。




じーっと説明看板を読んでいると、なんだかこの先に行ってみたくなった。行橋市にこんな場所があるなんて・・・初めて知った。
いろんな遺跡があるらしい。
すぐ上まで上れば、中門と言う巨大な城門があるので、ちょっと行ってみることにした。
御所ヶ谷神籠石(こうごいし)
神籠石とは北部九州から瀬戸内海沿岸にかけて分布する古代の山城の一種で、城壁の基礎に切石の列石を並べています。
百済救援のために朝鮮半島に派兵した我が国は663年、白村江で唐と新羅の連合軍に敗退します。
敗戦後、唐、新羅群の侵攻に備え防人と烽(のろし)を配置するとともに大野城、金田城など山城を築き国防体制を強化しました。
神籠石タイプの山城もこの戦いの前後に国土防衛のために築かれたのだと考えられます。
御所ヶ谷神籠石は、外周3kmに及ぶ大規模な遺跡です。
高さ3〜5メートルの土塁(城壁)を山中に2km以上にわたってめぐらせ、土塁が谷を渡る部分は石造りの水門が築かれます。
7箇所城門があり、このうち中門は花崗岩の切石を積み上げ、排水口を設けた巨大な石塁が残っています。城内には建物の礎石や貯水池の跡と思われる遺構、未完成の土塁跡などもあります。
西日本の古代山城の中でも御所ヶ谷神籠石は大規模な石塁や土塁に象徴されるように、城としての完成度が高く当時、中央政権が京都平野を九州北東部の防衛のかなめとして重視したことを示しています。    (説明看板より)

    







城門   中門(花崗岩の切石を積み上げ、排水口を設けた巨大な石塁)  12時36分
1300年前のすぐれた土木技術を目の当たりにする 



誰もいない静かな住吉池
 
 


   ??? 

御所ヶ谷史跡自然公園 12時48分
中門を見学後、引き返して登山口に戻り、そのまま駐車場から車道を歩いて58号線に向かった。車道を下ると大きな住吉池がある。綺麗に整備されて「御所ヶ谷住吉池公園」となっている。すぐ近くに住吉神社があった。

  

 

歩いて県道58号線へ  12時58分
振り返ると縦走した馬ヶ岳と御所ヶ岳が見える。「あ〜あそこを歩いたんだ」、といろいろ思い出しながら58号線へ向かった。

   車も殆ど通らない

 

10、津積(つつみ)信号(県道58号)13時07分
御所ヶ谷登山口から車道をテクテク歩くこと26分で、県道58号の津積信号に到着。あとはこの58号を真っ直ぐ大谷信号まで歩くだけだ。

   津積信号

  大谷信号に到着  13時22分
右手に見える「馬ヶ岳」〜「御所ヶ岳」の稜線を眺めながら58号を歩いた。
津積信号から15分で大谷信号に到着。

    あれっ?歩道に車が
  11、馬ヶ岳城跡臨時駐車場  13時25分
今朝スタートした大谷信号横の「馬ヶ岳登山口」を通り、臨時駐車場にゴール!古代そして戦国時代と、歴史に想いを馳せた登山だった。

   お疲れ様でした!

訪問ありがとうございました。
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背後のカラー