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 味見桜公園〜障子ヶ岳登り口〜砦跡〜障子ヶ岳山頂  往復 

障子ヶ岳 

 2015年3月22日

今日は午前中に茶臼山と新城に登った。約3時間の山歩きだったのでちょっと物足りなくて、近くの障子ヶ岳にも登ることになった。私にとってはニューピークなので有り難い。
H師匠の先導で322号線に出て味見峠を目指した!322号線に入り、金辺橋北交差点を苅田・みやこ方面へ左折し、県道64号線に入る。少し進むと「味見峠桜公園・障子ヶ岳登山口」の黄色い標識があるので、ここを左折。更に先へ進むと、右手に鋭角に曲がる道が出てくる。ここにも「味見桜公園」の標識がある。ここを右折して一本道で「味見桜公園」へ到達する。






障子ヶ岳山頂   山頂には白や黄色の水仙が咲いていた。

今日は一日中黄砂とPM2.5の影響で視界が全く望めない。残念だ。

 

<コース概要>

1、味見桜公園駐車場  11時15分 〜 2、障子ヶ岳登り口 〜 3、砦跡 〜 
4、登山者名簿ボックス 〜 5、空濠跡 〜 6、北の丸跡 〜 7、馬場跡 〜 
8、二の丸跡(昼食) 〜 9、障子ヶ岳山頂(本丸跡)  
10、
味見桜公園駐車場  13時31分




       

味見桜公園駐車場到着  11時15分  東屋が目印! ここは桜の名所だそうだ!
        




 

1、味見桜公園駐車場  11時19分 出発
味見峠と障子ヶ岳城跡の説明が書いてある。
ここは桜の名所になっていて、桜の時期はたくさんの見物客が訪れるらしい。しかし、ここまでの道のりは、途中から細い道もあり、離合も厳しい場所もある。桜の最盛期などは車の乗り入れが大変そうだ。



味見峠と障子ヶ岳城跡
味見峠(標高247m)は、養老4年(720年)採銅所長光にある清祀殿で鋳造した銅の神鏡を古宮八幡宮から宇佐八幡宮に奉納する際、御神興の行列が通ったことで有名であり、英彦山山伏の峰入りコースの一部でもあった。

昭和56年(1981年)中腹に苅田〜採銅所として味見トンネルが開通し、今日では人通りも途絶えているが、かつては経済的、人的交流(婚姻など生活交流)の峠道だった。
味見「アジミ」の由来は
○宇佐八幡宮の所領としての勾金荘が「安心院氏」によって支配されていたこと。
○障子ヶ岳と龍ヶ鼻の鞍部即ち馬の鞍の古語「アジム」
○採銅所中野に魚市場があったことから京都郡豊前海の新鮮な魚介類が人の背によって運ばれ、峠で鮮度や味見をしたこと   等の説がある。

味見峠から登られる障子ヶ岳跡
障子ヶ岳(427.3m)の山頂にあった障子ヶ岳城は、戦略上の要衝の地であるため、この城をめぐって幾度か攻防が繰り返された。この城跡は、牙城跡(きばじょうあと)とも呼ばれ中世の山城の姿をきわめてよく残している。
建武二年(1336年)足利尊氏の命によって、足利駿河守統氏の築城と言われ、その度重なる戦乱で城主はかわり、天正14年(1586年)豊臣秀吉の九州平定に伴い、黒田孝高(よしたか)の軍に落とされた。 
                                    (説明看板より)


説明看板を読んだ後、H師匠の先導で緩やかな坂道をのんびり歩いて行く。

 

 

2、障子ヶ岳登り口  11時20分
駐車場から道なりに歩くとすぐに登り口の看板のある分岐に辿り着いた。

   山頂まで1.4km 






綺麗に整備された登山道を歩く  11時31分
登山道は広くてはっきりしている。登山道と言うより散策コースと言っていいだろう。
途中で「勝山・宮原方面」への分岐が出てきた。






雰囲気いいなあ〜  11時32分

 

 

バイク進入禁止の柵  11時37分
ライダー達もこの道を走りたい気持ちは理解できるが、ここは登山道。自然を大切に!

    ネズミモチ






3、砦跡  11時46分   正面に障子ヶ岳が見えてきた!

 



 

4、登山者名簿ボックス  11時47分
ボックスの中にはノートが数冊入っていた。我々も記入しました。

     登山の証






ボックスからの登山道は少し急坂に・・・  11時50分  ここは「上野登り口」への分岐でもある

 



 
もうすぐ頂上の標識  11時53分  

辛抱の坂に一歩、一歩。
もうすぐ頂上の標識を見て、
「本当かな〜」と半信半疑で上る。急坂は皆さん無口になる。


   
       ガンバ!ガンバ!




 

5、空濠跡(からぼりあと)  11時55分
少し歩くと、明るく広い場所に出た!

    空濠跡

 

北の丸跡へ向かう  11時57分
空濠跡まで上って来ると一気に視界が広がりちょっと感動。しかし、今日は黄砂とPM2.5の影響で景色は白いベールに包まれ残念でならない。道はここから左右に分かれる。左は「北の丸跡」、右は山頂へと続く。我々はまずは北の丸跡へ向かった。

 

6、北の丸跡  11時58分
障子ヶ岳城跡の山頂一帯は見事に除草されて、丸裸状態になっている。

    






北の丸跡から上ってきた稜線を見下ろす  11時59分  黄砂とPM2.5の影響が酷い

 





北の丸跡から一旦空濠跡へ戻り、山頂を目指す!  12時02分  障子ヶ岳城跡の全景 

 


 

7、馬場跡(昼食)  12時03分
空堀を通り抜けると馬場跡の広場になる。山頂手前だが、風を避けてここで昼食とした。

    のんびりと昼食

 

障子ヶ岳城跡
(説明看板より抜粋)
この城跡は障子ヶ岳(標高427m)の山頂一帯に広がる中世の山城跡で、曲輪(くるわ)(=陣地)や堀切(=空堀)といった当時の構造物の残り具合がよいことから、平成21(2009)年11月、みやこ町の史跡に指定された。



障子ヶ岳城は田川・京都郡境にあって田河道・秋月道等の要路をおさえる位置にあることから、豊前地方における重要な山城の一つとされ、近くにある大規模山城・香春岳城(香春町)の支城とも言われています。城の歴史は江戸時代に編まれた「豊前古城記」によれば、建武3(1336)年、足利尊氏の命を受けた一族の武将・統氏の築城によって始まるとされますが定かではありません。しかし、その後についてはわずかに残る門司氏や宇佐郡衆といった室町期大名・大内氏や大友氏の家臣が城番を務め、関連する戦乱の舞台となったことが確認されています。




8、二の丸跡  12時45分   山頂へと向かう途中に「二の丸跡」がある。 


 


 

9、障子ヶ岳山頂  12時47分  427m
障子ヶ岳山頂は元旦に初日の出を拝むのには最高の場所だそうだ!
ヤジさんと周囲の山々を見ながら指差すH師匠。低山とは言え、山頂からの展望は抜群だった!黄砂がなければもっと奥深く見渡せたに違いない。






障子ヶ岳・本丸跡  12時52分  H師匠(左)とヤジさん(右)




 下山に取り掛かる  12時57分  誰もいない馬場跡を歩く。奥の高台は北の丸跡。



 

空堀跡から往路を下る  12時59分
障子ヶ岳山頂一帯の城跡を歩き、その時代の様子を想像するととても興味が湧いてくる。障子ヶ岳城もあらゆる変遷を経てその役目を終えたのであろう。
それにしても、この山頂によくぞ城を築いたものだと、感心させられる。





快適な稜線をグングン下る  13時05分  歩くのがとても気分が良くて楽しい



 

 

ツバキ咲く登山道  13時13分
復路の尾根道で赤いものがチラホラと・・・。
ツバキの花が綺麗に咲いていた。

   ビューティフル 

 

障子ヶ岳登り口  13時30分
山頂からゆっくり歩いて、下山の所要時間は約35分。あっという間の下山だった。

   楽しかったな〜 






10、味見桜公園駐車場  13時31分  無事に下山完了!

もう少しで桜の季節。きっとここも賑わうのだろう。

お疲れ様でした!


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